戦争の初期段階では、ラジオは、日本軍の勝利を勇ましい軍艦マーチなどにのせて伝えた。真珠湾攻撃、英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズなどの撃沈、香港占領、マレー半島上陸、シンガポール陥落、フィリピン上陸とマニラ占領、そしてインドネシア全土の攻略などなど……。臨時ニュース。に、大人はもちろん、小国民(小学生)まで、戦況の展開に、心を踊らされた。この時期の放送は、専ら、国民の戦意高揚の目的に、総動員され、一定の成果をあげた。しかし気がつくと、戦争は大衆の日常生活の足もとをひたひたと蝕んでいた。ラジオのカン高い放送の調子は、昨今のピョンヤンの放送のアナウンサーの調子にも共通するが、その下で、大人の男は出征兵士として家庭からいなくなり、食糧や生活必需品が店から消え、女性や子どもは防火訓練に忙しかった。放送の伝える調子と日常生活の実感の差が、少しずつ大きくなった、と気づいたころ、防空演習は、演習ではなくなり、現実の空襲警報が鳴り、頭上の米軍機から爆弾が降ってきた。庶民はラジオをかけっ放しにして、敵機の接近、警戒警報から空襲警報へ、軍管区情報の放送を聞きながら、頼りない防空ごうに逃げこむのであった。
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